宮島を訪れる多くの方が、厳島神社の参道で出迎えてくれる鹿たちに心を奪われることでしょう。その優雅で神秘的な佇まいを見ていると、なぜ鹿が神の使いとして崇められてきたのか、興味を抱かれる方も多いはずです。
宮島の鹿は古来より島の神聖性と深く結びつき、血を流すことを忌む信仰によって保護されてきました。約6000年前から島に生息していたとされる鹿たちは、厳島神社の創建よりもはるか昔から、この神聖な島で人々と共存してきた歴史があります。奈良の春日大社のような明確な神鹿伝説はありませんが、宮島全体が神の島とされたことで、鹿もまた特別な存在として大切にされてきました。

宮島の鹿と神の使い信仰の歴史的経緯
古代から中世:島の神聖性と鹿の生存
宮島の鹿が神の使いとして扱われるようになった背景には、島全体の神聖視という独特な信仰があります。約6000年前の縄文海進により本州から分離した厳島には、その時点ですでに鹿が生息していたと考えられています。鹿は優れた泳ぎ手でもあり、海を渡って島に到達した個体もいたでしょう。
平安時代に平清盛によって現在の厳島神社が造営される以前から、宮島は「神の島」として特別視されていました。この神聖性こそが、鹿たちの生存を保証する重要な要因となったのです。島では出産時に本土へ渡ること、生理期間中の外出禁止など、血による穢れを極度に嫌う風習がありました。同様に、鹿を殺すことも血を流す行為として厳しく忌避されました。
鎌倉時代に成立した『撰集抄』には、すでに宮島に多くの鹿が生息していることが記録されています。約820年前に宮島を訪れた西行法師も、その旅日記で鹿の存在に言及しており、中世の時点で鹿と人の共存が確立していたことがわかります。
江戸時代:観光地化と鹿の文化的地位の確立
江戸時代になると、宮島は行楽地・観光地として栄えるようになり、多くの文人・僧侶が訪れました。この時代の日記や絵図には、必ずと言っていいほど鹿の姿が描かれています。福島正則が詠んだ「初春に はじめて鹿の 声きけば いつも恵は ゆたかなりけり」という歌からも、鹿の存在が島の豊かさの象徴として捉えられていたことがわかります。
1715年(正徳5年)には、厳島光明院の僧・恕信が鹿を厳島八景の一つに選んでいます。また、この時代には鹿が家に入るのを防ぐ「鹿戸」や、残飯を餌として与える「鹿桶」などが設置され、人と鹿の共存システムが確立されていました。

明治時代以降:法的保護の始まり
明治初期の神仏分離・廃仏毀釈により島は大きく混乱しましたが、1879年(明治12年)には広島県令により、鹿を守るために全島が禁猟区に指定されました。この時期から、宮島の鹿は法的にも保護される存在となったのです。
戦後には一時的に鹿の個体数が激減しましたが、1949年(昭和24年)に旧佐伯郡宮島町が鹿保護条例を制定し、鹿の殺傷や犬の飼育を罰則付きで禁止しました。現在でも、これらの保護政策は廿日市市によって継続されています。
鹿が生息する宮島の特徴と文化的背景
宮島と奈良の鹿:根本的な違いとは
多くの方が疑問に思われるのが、奈良の鹿と宮島の鹿の違いです。最も大きな違いは、宮島には春日大社の神鹿のような明確な神話的設定がないことです。厳島神社の祭神である宗像三女神には、特定の神使動物が設定されていません。
しかし、だからといって宮島の鹿の神聖性が劣るわけではありません。むしろ、島全体の神聖性という包括的な信仰によって保護されてきた点に、宮島の鹿の特殊性があります。近年のDNA解析により、宮島の鹿と奈良の鹿は遺伝的に全く別の系統であることも確認されており、独自の進化を遂げた貴重な存在であることがわかっています。
野生動物としての適応と特徴
現在、宮島には約500頭の鹿が生息しており、そのうち約200頭が市街地周辺で生活しています。宮島の鹿は本土の鹿と比べて体格が小さく、成長速度も遅いという特徴があります。これは栄養不足ではなく、限られた環境に適応するための生存戦略だと考えられています。
興味深いことに、宮島の鹿は「鹿の通勤」と地元で呼ばれる行動パターンを示します。朝に餌を求めて市街地に降り、夜になると山中に戻るという規則的な生活サイクルを持っているのです。このような行動は、人との長い共存の歴史の中で培われた独特の生態といえるでしょう。

神聖な島における鹿保護の影響と歴史的意義
穢れ忌避思想が生んだ独特な共存システム
宮島の鹿保護の根本にあるのは、血による穢れを忌避する神道の思想です。神の島である宮島では、血を流すあらゆる行為が禁忌とされ、それが結果的に鹿たちの「聖域」を作り出しました。この思想は単なる動物愛護とは異なる、宗教的・文化的な背景を持つ保護システムといえます。
また、宮島では農業が行われなかったため、鹿による農作物被害という一般的な人獣害が発生しませんでした。むしろ、観光客が餌を与えることで鹿は増加し、江戸時代には既に現在のような「鹿天国」が形成されていたのです。
現代における課題と保護管理の取り組み
現在、宮島では「宮島地域シカ保護管理計画」に基づいた科学的な保護管理が行われています。餌やりの禁止とゴミ管理の徹底により、鹿を自然な状態に戻そうとする取り組みが続けられています。2007年に鹿せんべいの販売が中止されて以降、個体数は一時減少しましたが、現在は安定した推移を示しています。
これらの取り組みは、単なる個体数管理ではなく、野生動物として健全な生態系を維持しながら、同時に人との共存を図る先進的な試みとして注目されています。宮島の鹿保護は、伝統的な宗教的価値観と現代的な科学的管理が融合した、世界的にも珍しい事例といえるでしょう。
現代に受け継がれる鹿と人の共生の価値
宮島の鹿と人の関係は、現代の野生動物保護や生態系保全にとって重要な示唆を提供しています。宗教的な価値観に基づく保護から始まり、現代の科学的管理に至るまで、一貫して維持されてきた共存関係は、持続可能な人と自然の関わり方を考える上で貴重な事例です。
また、観光地における野生動物との適切な距離感、餌やり問題への対応、地域住民の理解と協力など、宮島で培われてきた経験は、他の地域における類似の課題解決にも活用できる知見として注目されています。神の使いとしての鹿は、現代においても人間と自然の調和を象徴する存在として、私たちに多くのことを教えてくれているのです。

よくある質問
宮島の鹿はなぜ神の使いと呼ばれるのですか?
宮島全体が神の島とされ、血による穢れを忌避する信仰により、鹿を殺すことが禁止されてきたためです。奈良のような明確な神鹿伝説はありませんが、島の神聖性によって保護され、結果的に神の使いのような扱いを受けるようになりました。
奈良の鹿と宮島の鹿はどう違うのですか?
DNA解析により、両者は遺伝的に全く別の系統であることが確認されています。また、宮島の鹿は体格が小さく、島の環境に適応した独特の生態を持っています。奈良では鹿せんべいがありますが、宮島では餌やり自体が禁止されています。
宮島の鹿に餌をあげてはいけないのはなぜですか?
人間の食べ物に慣れると、鹿がゴミと食べ物の区別ができなくなり、ビニールなどを誤食して健康を害するためです。また、人慣れしすぎると交通事故のリスクも高まります。現在は野生動物として自然に戻す方針で管理されています。
宮島の鹿は触っても大丈夫ですか?
野生動物なので触ることはおすすめしません。マダニなどの病原体を媒介する可能性があり、特に角のあるオスや子連れのメスには注意が必要です。適度な距離を保って観察することが、安全で楽しい観光につながります。
宮島の鹿は夜はどこで過ごしているのですか?
約7割の鹿は夜になると山中で過ごします。地元では「鹿の通勤」と呼ばれる現象で、朝に餌を求めて市街地に降り、夕方には山に戻る規則的な生活パターンを示しています。
宮島の鹿の個体数は現在どのくらいですか?
現在約500頭が島内に生息し、そのうち約200頭が市街地周辺で生活しています。2007年の鹿せんべい販売中止後、一時減少しましたが、現在は適正な個体数で安定しています。
まとめ
宮島の鹿が神の使いとして扱われてきた背景には、島全体の神聖視という独特な信仰と、血による穢れを忌避する宗教的価値観がありました。約6000年前から島に生息していた鹿たちは、厳島神社の創建以前から人々と共存し、江戸時代の観光地化を経て、現代の科学的管理に至るまで、一貫して保護されてきた貴重な存在です。
奈良の鹿とは遺伝的に異なる系統でありながら、宮島の鹿は島の環境に適応した独特の生態を持ち、現在も約500頭が野生動物として健全に生息しています。餌やり禁止などの現代的な管理手法により、人と鹿の適切な共存関係が維持されており、これは世界的にも注目される野生動物保護の成功事例といえるでしょう。神の使いとしての鹿は、現代においても人間と自然の調和を象徴する存在として、私たちに多くの教訓を与えてくれています。
参考文献・出典
- 一般社団法人宮島観光協会:しか・たぬき
- Wikipedia:宮島の鹿
- 広島県:宮島地域のシカについて
- 元祖もみじ饅頭 博多屋:宮島の鹿について観光客からよく受ける質問
- タベタインジャ:人懐こくて可愛い、宮島の鹿コレクション
- 宮島町史編纂委員会『宮島町史 通史編』宮島町、1992年
- 『撰集抄』(鎌倉時代成立)