宮島を訪れると、島の至る所で鹿の姿を目にすることができます。フェリー乗り場を降りてすぐ、厳島神社の境内、紅葉谷公園など、まるで島の住民のように自由に歩き回る鹿たちの姿は、宮島観光の大きな魅力の一つです。
宮島には現在約500頭の野生のニホンジカが生息しており、そのうち約200頭が市街地で暮らしています。これらの鹿は約6000年前の縄文海進により島が形成された時から生息していたと考えられ、長い歴史の中で宮島の環境に独自の適応を遂げてきました。本土の鹿と比べて体格が小さく、高密度な生息環境でも繁殖を続ける生命力の強さを持っています。

宮島の鹿の起源と歴史的な記録
縄文時代から続く鹿の生息
宮島の鹿の起源は、約6000年前の縄文海進にさかのぼります。この時期、海面上昇によって本州から分離して島が形成されましたが、その際に本土側の鹿の個体群から分断されたものが宮島の鹿の起源であると考えられています。近年の遺伝子調査により、宮島の鹿は広島県や山口県の鹿と遺伝的に近い関係にあることが判明しており、奈良から連れてこられたという俗説は科学的に否定されています。
鹿は優れた泳ぎ手でもあり、島が形成された後も海を渡って到達した個体がいた可能性も指摘されています。本土側の個体群の分布域が縮小して厳島の対岸側には鹿が生息しなくなったことで、厳島の鹿は孤立化し、独自の進化を遂げることになりました。
歴史文献に見る鹿の記録
宮島の鹿に関する最も古い確実な記録は、鎌倉時代に成立した『撰集抄』です。約820年前に宮島を訪れた西行法師が、すでに島に多くの鹿が生息していることを記しています。この記述から、平安時代末期には既に宮島に相当数の鹿が生息していたことがわかります。
江戸時代になると、宮島は行楽地・観光地として栄えるようになり、多くの文人や僧侶が訪れました。福島正則が詠んだ「初春に はじめて鹿の 声きけば いつも恵は ゆたかなりけり」という歌や、正岡子規の「宮島の 紅葉が谷は 秋闌けて 紅葉踏み分け 鹿の来る見ゆ」という句など、鹿は宮島の風景を彩る重要な要素として認識されていました。1715年には、厳島光明院の僧・恕信が鹿を厳島八景の一つに選んでいます。

神聖な島における保護の歴史
宮島の鹿が古くから保護されてきた背景には、島全体を神聖視する独特の信仰がありました。宮島では出産時に本土へ渡ること、生理期間中の外出禁止など、血による穢れを極度に嫌う風習がありました。同様に、鹿を殺すことも血を流す行為として厳しく忌避され、これが鹿の保護につながったのです。
明治初期の神仏分離・廃仏毀釈により島は大きく混乱しましたが、1879年には広島県令により、鹿を守るために全島が禁猟区に指定されました。戦後には一時的に鹿の個体数が激減しましたが、1949年に旧佐伯郡宮島町が鹿保護条例を制定し、鹿の殺傷や犬の飼育を罰則付きで禁止しました。現在でも、これらの保護政策は廿日市市によって継続されています。
鹿が神の使いとされた宗教的背景についてはこちらの記事をご覧ください。
宮島の鹿の生態的特徴と環境適応
体格の小型化という環境適応
宮島の鹿の最も顕著な特徴は、本土のニホンジカと比べて体格が小さいことです。一般的なニホンジカのオスの角は、4歳から5歳までに成長して4尖の枝角になりますが、宮島の鹿は角が小さく、発達には個体によって大きなばらつきが見られます。
この小型化は栄養不足ではなく、高密度で生息する環境への適応の結果です。宮島では1平方キロメートルあたり約100頭という非常に高い密度で鹿が生息しており、一般的にニホンジカの生息密度が10頭以下でも植生や生態系に顕著な影響が出ることを考えると、この密度は極めて高いと言えます。限りある草木の量に適応するため、体を小さくして採食する量を減らすことで、野生のニホンジカならではの生き抜く力を発揮しているのです。
調査によると、宮島の成熟したメスの繁殖率は8割以上で、毎年多くのメスが妊娠し子鹿を産んでいます。体格が小柄でも健康に成長し、繁殖を続けていることが確認されています。
生息域と行動パターン
宮島の鹿の生息域は大きく分けて二つあります。一つは夜を含めてほぼ山の中で過ごす個体群、もう一つは市街地に定着した個体群です。山の中にいる鹿の中には、人が近づくのを嫌がるものがいる一方で、地元住民が「鹿の通勤」と呼ぶように朝に餌を求めて市街地へ降りて夜に山へ戻るものもいます。
市街地近辺での出現個体数には季節変動が見られます。夏から秋にかけては少なくなり、秋から早春にかけては増える傾向があります。これは森林内の餌の変化量に関係があると推測されており、さらにサシバエ(刺虻)の存在が影響していることがわかっています。
一般にニホンジカはそれぞれ行動域を持ち、その外に出ることはあまりありません。しかし市街地近辺では長年の給餌の影響によりオスが分散しなくなり定住性が高くなっています。このため、オスが成長し繁殖時期をむかえても母・姉妹と同じ場所で生息するようになり、結果として血縁関係のあるものが交尾する可能性が高くなっているという課題も指摘されています。
食性と採食行動
宮島の鹿はヤギと同じ反芻動物で、セルロースを含む植物を主食としています。低カロリーの芝、草、海草、苔などを食べて生きていくことができます。満潮時には海に入ってアマモを食べる姿も観察されています。
鹿が紙を食べる行動が見られますが、これは飢えからではなく、紙にもセルロースが含まれているためです。ただし、印刷されたインクや持ち手のビニールなど、本来の食物ではないものを誤って食べてしまうリスクもあります。人の食べ物の味を覚えた鹿は、食べ物とゴミの区別ができず、美味しそうな匂いに釣られて何でも口に入れてしまう傾向があり、これが健康被害の原因となることもあります。

餌やり禁止の経緯と現代の保護管理
個体数増加と環境への影響
山陽新幹線などの交通網の発達により1960年代から1970年代にかけて宮島には観光客が増え、観光客用に鹿せんべいが販売されるようになりました。この時期に鹿の個体数は激増したと考えられています。1965年頃から市街地で生活する鹿が増え、鹿の糞の匂いや商店街の食べ物を食べるなどの問題が顕在化し始めました。
鹿の数が多くなると、鹿が食べやすい低い木や下草がなくなり、森の土壌流出につながります。宮島は地質のほとんどが花崗岩という風化しやすい岩石で、斜面が崩れやすいのが特徴です。市街地周辺は元々「急傾斜地崩壊危険区域」や「土石流危険渓流」に指定されており、低い木や下草がなくなることで土砂災害の危険性も高まるという深刻な問題がありました。
2006年には環境省による鹿の植生被害調査が行われ、周辺自然環境への鹿の影響が大きくなっていることが明らかとなりました。翌2007年には広島県が宮島全域を対象とした鹿の生息調査を行い、餌やりの禁止を中心とした保護管理報告書を作成しました。
保護管理計画の策定と実施
2007年から島内で鹿せんべいの販売が禁止され、2008年には廿日市市が宮島町の関係者及び学識経験者で「廿日市市宮島地域シカ対策協議会」を設立しました。生息状況などに係るモニタリング調査及び住民意識調査を踏まえ「宮島地域シカ保護管理計画」を策定し、保護管理対策に努めています。2014年には第1期の保護管理計画を継続した「第2期宮島地域シカ保護管理計画」が策定されました。
保護管理計画の基本方針は、個体数管理、生息環境の保全、被害防除などの総合的な対策を実施することです。計画策定の手続きを透明化し、地域全体の合意形成を重視することも明記されています。これは地元住民の理解と協力の元に策定されたもので、広島県も賛同しています。
生息個体数の推移を見ると、2007年の鹿せんべい販売中止以降、2010年頃には個体数減少傾向が見られましたが、2015年から2018年にかけて増加しています。市街地中心部でのモニタリングでは、2012年頃まで比較的安定していましたが、その後は増減を繰り返しています。
餌やり禁止をめぐる論議
餌やりが禁止されたことで、痩せ細った鹿の姿が目撃されるようになり、動物福祉の観点から懸念の声も上がっています。鹿を不憫に思った人々がボランティアで給餌を行っているという状況もあり、行政と市民の間で意見の対立が生じています。
一方で、広島県と廿日市市により餌やりが禁止されているにもかかわらず、無許可で餌やりを行う者が存在し、以下のような問題が指摘されています。米ぬか、菓子、コーンなど鹿の食性とかけ離れたものを食べさせることによる健康被害、自動車進入禁止エリアに車を乗り入れることによる芝の損傷、走行中の車の窓から餌を投げ鹿に車を追尾させた結果の交通事故リスク、糞尿が集中することによる窒素過剰による近傍の樹木の枯死、本土から持ち込んだ植物が病害虫を伝播させたり遺伝子撹乱を引き起こしたりするリスクなどです。
廿日市市・宮島観光協会では、鹿に餌を与えない、ゴミは持ち帰るなどを呼びかけており、「鹿は野生動物」であることを強調しています。奈良の鹿では伝統行事として観光化されている角切についても、宮島では行政担当者が安全対策として行っており公開されていません。
現代に受け継がれる鹿との共生の価値
宮島の鹿は、約6000年にわたる長い歴史の中で、島の自然環境と文化の重要な一部となってきました。神聖な島における殺生の禁忌という宗教的背景により保護されてきた鹿たちは、現代では野生動物として適切に管理されながら、観光資源としても重要な役割を果たしています。
鹿が人の近くにいるとしても、決してペットではなく野生動物です。普段はおとなしい性格でも突発的な行動を取る可能性があり、特に角のあるオスや子連れのメスには注意が必要です。実際に住民から「角で突かれた」「蹴られた」「噛みつかれた」という報告もあります。また、人慣れした鹿が車を恐れなくなることで交通事故につながる危険性も指摘されています。
宮島では、鹿の家への侵入を防ぐ「鹿戸」という特殊な引き戸が今も使われています。鹿は押す力が強いため、鹿戸は必ず引いて開ける設計になっています。このような生活の工夫は、江戸時代から続く人と鹿の共存の知恵の表れです。
近すぎず、遠すぎず、適度な距離を保って鹿と接することが、未来へ向けた共生の鍵となります。宮島にとって世界文化遺産も鹿もかけがえのない存在であり、豊かな自然のもと鹿が野生動物として健全に暮らし、それを未来へつなげていくことが大切です。宮島では鹿に安易に近づかない、食べ物を与えない、ゴミを放置しないというルールを意識し、適度な距離を保って観光を楽しむことが求められています。

よくある質問
宮島には何頭の鹿がいますか?
現在、島内には約500頭の鹿が生息しており、そのうち約200頭が市街地で暮らしています。個体数は季節や年によって変動があり、2007年の餌やり禁止以降は増減を繰り返しています。
宮島の鹿はなぜ体が小さいのですか?
栄養不足ではなく、高密度な生息環境への適応の結果です。限りある草木の量に適応するため、体を小さくして採食する量を減らすことで生き抜いています。繁殖率は8割以上を維持しており、健康に成長しています。
宮島の鹿に餌をあげてはいけないのはなぜですか?
鹿が人の食べ物の味を覚えると、餌を求めて人に近づきすぎて人身被害のリスクが高まります。また、人の食べ物は鹿の消化に適さず健康被害を引き起こします。さらに交通事故の危険性や、ゴミを誤食するリスクも高まります。
宮島の鹿はいつから生息していますか?
約6000年前の縄文海進により島が形成された時から生息していたと考えられています。鎌倉時代の『撰集抄』には約820年前の記録があり、江戸時代の文献にも多数の記載があります。奈良から連れてこられたという俗説は、遺伝子調査により科学的に否定されています。
鹿の出産シーズンはいつですか?
宮島の鹿の出産ラッシュは6月と7月です。この時期に訪れると、かわいい子鹿に会えるかもしれません。ただし、子連れのメスは警戒心が強いため、特に注意が必要です。
宮島の鹿と奈良の鹿の違いは何ですか?
最も大きな違いは、宮島には明確な神鹿伝説がないことです。奈良の鹿は春日大社の神使として伝統行事の対象となっていますが、宮島では「野生動物」であることが強調されており、角切も公開されていません。また、宮島では鹿せんべいの販売が禁止されています。
鹿に触っても大丈夫ですか?
鹿はマダニなどの寄生虫を持っている可能性があり、安易に触ることは控えたほうがよいでしょう。撮影する際は鹿を驚かせないよう適度な距離を保つことが大切です。角のあるオスや子連れのメスには特に注意が必要です。
まとめ
宮島の鹿は約6000年にわたる長い歴史を持ち、島の環境に適応して独自の生態を築いてきました。本土より小型化した体格、高い繁殖率、季節変動のある生息パターンなど、野生動物としての適応力を示しています。
歴史的には、島の神聖性に基づく保護により個体数を維持してきましたが、現代では餌やりの禁止を中心とした保護管理計画により、環境との調和が図られています。動物福祉と環境保全のバランスをどう取るかは、今後も続く課題です。
宮島を訪れる際は、鹿が野生動物であることを理解し、餌を与えない、ゴミを放置しない、適度な距離を保つというルールを守ることが、人と鹿の共生を未来へつなぐために重要です。世界文化遺産の島で、自然と調和しながら生きる鹿たちの姿は、これからも宮島の魅力の一つであり続けるでしょう。
参考文献・出典
- Wikipedia:宮島の鹿
- 一般社団法人宮島観光協会:しか・たぬき
- 廿日市市:宮島地域シカ保護管理計画資料編
- 元祖もみじ饅頭 博多屋:宮島の鹿について観光客からよく受ける質問
- 宮島町史編纂委員会『宮島町史 通史編』宮島町、1992年
- 『撰集抄』(鎌倉時代成立)