厳島神社を訪れると、海上に浮かぶように見える社殿の美しさに目を奪われますが、その建築空間は単なる祈りの場ではありません。平家納経や舞楽装束といった数多くの神宝を守り、活用するための精緻な設計思想が随所に息づいています。
本記事では、建築と宝物の関係という視点から厳島神社の魅力に迫ります。平安時代の寝殿造を応用した空間配置が、どのように神宝の保管や儀式の実践と結びついているのか、歴史的な変遷とともに紐解いていきます。
寝殿造の空間構成と神宝の配置
平清盛が仁安3年(1168年)頃に造営した厳島神社は、平安時代の貴族邸宅様式である寝殿造を神社建築に応用した独創的な設計が特徴です。都で流行していた回廊を備えた壮麗な寝殿造を参考に、瀬戸内海を「池」に、社殿を「寝殿」に見立てるという大胆な発想で設計されました。
寝殿造の特徴である左右非対称の配置は、神宝の保管場所にも影響を与えています。本社本殿の南側には校倉造(あぜくらづくり)の宝蔵が設けられ、ここに平家納経をはじめとする貴重な神宝が納められていました。本殿の背後という位置取りは、神域の最奥部に宝物を守るという空間配置の意図を明確に示しています。
総延長約275メートルにも及ぶ東西の回廊は、単なる通路ではなく、神宝を運ぶ動線としても機能していました。年中行事や重要な儀式の際には、この回廊を通じて各所から神宝が本殿や高舞台へと運ばれ、儀式空間を彩る重要な役割を担っていたとされます。
厳島神社の建築配置を理解すると、社殿全体がどのように発展してきたのかが見えてきます。
平清盛の時代から現在まで、幾度もの改修を経ながらも基本構成が受け継がれた過程を追うと、建築と信仰の深い結びつきが実感できます。
建築史の流れを押さえてから見ると、個々の建物の意味がより立体的になります。
平家納経と保管建築の変遷
校倉造の宝蔵における保管
長寛2年(1164年)から仁安2年(1167年)にかけて平家一門が奉納した平家納経は、装飾経の最高傑作として知られています。清盛の願文に「善を尽くし、美を尽くし」とあるように、金銀箔を散らし極彩色の下絵や文様を施した絢爛豪華な33巻は、当代の絵画・書跡・工芸の最高技術を結集したものでした。
これらの貴重な神宝は、厳島神社本社の南側に建てられた校倉造の宝蔵で保管されていました。校倉造は、断面が三角形や台形の木材を井桁に組んで壁とする伝統的な建築様式で、湿度調節に優れた特性を持ちます。海上という厳しい環境下で経巻を保存するには、この建築様式が最適だったと考えられています。
校倉造の壁は、木材の伸縮により自然に湿度を調節する機能を持ちます。梅雨時には木材が湿気を吸って膨張し、乾燥時には収縮するため、内部の湿度が一定に保たれやすいのです。紙と絹で作られた平家納経にとって、この環境は長期保存に不可欠でした。
近代の保管施設への移行
明治維新後、神仏分離令や廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の運動により、多くの寺社の建物や宝物が破壊・売却される危機に直面しました。こうした状況を受けて明治30年(1897年)に古社寺保存法が公布され、平家納経も同年に旧国宝に指定されます。
明治28年(1895年)に開催された第4回内国勧業博覧会をきっかけに、広島県賛同協会の宝物陳列所が設立されましたが、施設の老朽化に伴い昭和9年(1934年)に新たな宝物館が建設されました。設計を手がけたのは、明治神宮宝物殿も設計した建築家・大江新太郎です。
新宝物館は鉄筋コンクリート造平屋建で、銅板葺の屋根を持つ近代和風建築として完成しました。建築面積は570平方メートルで、耐震・耐火性に優れた構造が採用されています。一方で外観は伝統的な木造建築の形態や意匠を忠実に再現しており、柱・梁の太さや配置に至るまで木造建築の様式を踏襲しています。
表面には漆が塗られ、朱色の外観が厳島神社の景観と調和するよう配慮されました。この建物は現在、登録有形文化財に指定されており、昭和初期の近代和風建築の代表作として評価されています。館内では平家納経の精巧な複製が展示され、一般の参拝者も鑑賞できるようになっています。
平家納経を奉納した平清盛と厳島神社の関係を知ると、なぜこれほど豪華な経巻が作られたのかが理解できます。
瀬戸内海の交通を掌握し、日宋貿易で繁栄した平家にとって、厳島信仰がどれほど重要だったのかを追うと、宝物の背景が見えてきます。
歴史的文脈を押さえてから宝物を見ると、その意味がより深く響きます。
舞楽装束と高舞台の建築空間
厳島神社の高舞台は、本社祓殿前に設置された黒漆塗りの基壇に朱塗りの高欄をめぐらせた舞台です。平清盛が大阪の四天王寺から移したとされる舞楽が、現在も年10回ほどこの舞台で演じられています。日本三舞台の一つに数えられるこの高舞台は、天文15年(1546年)に厳島神社の神官・棚守房顕によって築かれました。
舞楽には中国系の楽舞を源流とする左舞と、朝鮮半島をルーツとする右舞があり、それぞれ異なる楽房から演者が登場します。高舞台の横には左楽房と右楽房が配置され、左舞の舞人は赤系統、右舞の舞人は緑青系統の装束を着用するという色彩の使い分けがなされています。
これらの舞楽装束や面は、使用しない時期には楽房内で保管されていました。楽房は単なる控室ではなく、装束や楽器を湿気や塩害から守る収納施設としての機能も担っていたのです。海上という特殊な環境において、絹織物や木製楽器を良好な状態で保つには、適切な保管空間の確保が不可欠でした。
高舞台の周囲には擬宝珠(ぎぼし)が付けられた宝珠柱が8本据えられており、そのうち2本は室町時代のものが現存しています。これらの擬宝珠には「天文十五年六月 棚守左近将監房顕」という刻銘が残され、厳島神社の宮司(当時は棚守と呼ばれた)が寄進したことが記録されています。
平舞台は高舞台の周囲に広がる約553平方メートルの空間で、寝殿造における「庭」の部分に相当します。安元2年(1176年)に平氏一門が参拝し千人の僧侶を呼んで供養を行った際、社殿前方に仮設の板敷を設けたのが始まりとされます。この平舞台では、管絃祭の際に神宝である鳳輦(ほうれん=御輿)が安置され、祭祀の中心空間として機能します。
高舞台と能舞台が並ぶ回廊の配置を知ると、厳島神社の建築全体がどのような思想で構成されているのかが見えてきます。
それぞれの舞台が持つ歴史や機能を理解すると、社殿を巡る体験がより豊かになります。
建築の意図を知ってから見学すると、空間の意味が立体的に感じられます。
武具・神宝と社殿配置の関係
厳島神社には、平家をはじめとする武家から奉納された甲冑や刀剣類が数多く伝わっています。国宝に指定されている小桜韋黄返威鎧(こざくらがわきがえしおどしよろい)や紺糸威鎧(こんいとおどしよろい)などは、武家の信仰の証として神前に捧げられた貴重な武具です。
これらの武具は、平時には本殿周辺の付属建物や宝蔵に保管されていましたが、重要な祭祀の際には本殿や拝殿に飾られ、神威を示す象徴として機能しました。特に戦国時代には、毛利元就をはじめとする武将たちが戦勝祈願や御礼として多くの武具を奉納しており、これらは社殿の荘厳(しょうごん=飾り立てること)に用いられました。
刀剣類の保管には特別な配慮が必要でした。海上という環境では塩害による錆が大きな問題となるため、密閉性の高い収納と定期的な手入れが不可欠です。宝蔵では刀剣を桐箱に納め、さらに漆塗りの唐櫃(からびつ)に収めるという二重の保護策が講じられていました。
能や舞楽の面、装束、楽器なども重要な神宝として扱われています。これらは芸能奉納という神事に不可欠な道具であり、単なる収蔵品ではなく「生きた宝物」として今日まで使用され続けています。宝物館には約4500点の所蔵品があり、そのうち約260点が国宝・重要文化財に指定されています。
建築構造と宝物保護の工夫
厳島神社の建築には、海上という特殊な環境で宝物を守るための様々な工夫が施されています。まず、床板の隙間を広く取ることで、高潮時に侵入した海水が速やかに排出される構造になっています。この設計は、建物だけでなく内部に保管された神宝を水害から守る役割も果たしていました。
また、本殿は平舞台より一段高い位置に建てられており、通常の満潮時でも床下に海水が侵入しない高さに設定されています。この微妙な高低差の設計により、数百年にわたって台風や高潮に耐えてきました。最も神聖で貴重な神宝を納める本殿を、物理的にも最も安全な高さに配置するという思想が読み取れます。
桧皮葺(ひわだぶき)の屋根も、湿度調節に重要な役割を果たしています。桧の樹皮を何層にも重ねた屋根は、雨水を効果的に排出しつつ、適度な通気性を保つことができます。これにより社殿内部の湿度が安定し、経巻や絹織物といった湿気に弱い神宝の保存環境が改善されました。
回廊の床板も独特の構造を持っています。板と板の間に約1センチの隙間を設けることで、雨水や海水が滞留せず、また風通しも確保されています。この構造は「目透かし(めすかし)」と呼ばれ、木材の腐朽を防ぐとともに、回廊を通じて運ばれる神宝を湿気から守る効果もあったとされます。
よくある質問
平家納経は現在どこに保管されていますか?
平家納経の原本は厳島神社が所蔵しており、通常は宝物収蔵庫で厳重に保管されています。宝物館では精巧な複製が常設展示されており、一般の参拝者も鑑賞することができます。原本は数年に一度、特別展などで公開される機会があります。
校倉造の宝蔵は現在も残っていますか?
厳島神社の境内には現在も校倉造の宝蔵が残っており、重要文化財に指定されています。ただし、最も貴重な宝物は昭和9年(1934年)に建設された近代的な宝物館に移されました。校倉造の宝蔵は、伝統的な保管技術を今に伝える貴重な建築遺産です。
舞楽装束は実際に使用されているのですか?
はい、厳島神社では現在も年間10回ほどの祭事で舞楽が奉納されており、伝統的な装束や面が実際に使用されています。使用後は丁寧に手入れされ、適切な環境で保管されます。一部の古い装束は宝物館に展示され、実際の祭事では比較的新しいものが使われています。
なぜ海上に社殿を建てたのですか?
厳島は古来「神をいつきまつる島」として神聖視されており、島の土地そのものが神域とされていました。そのため、神聖な土地を汚さないよう海上に社殿を建てたとされています。また、平清盛が都で流行していた寝殿造の「池に船を浮かべる」様式を、海を池に見立てて再現したという説もあります。
宝物館の建築様式の特徴は何ですか?
昭和9年(1934年)に建てられた宝物館は、鉄筋コンクリート造でありながら伝統的な木造建築の外観を持つ近代和風建築です。設計者の大江新太郎は、耐震・耐火性という近代的機能と、景観との調和という伝統美を両立させました。建築面積570平方メートルの平屋建で、表面には漆が塗られています。
まとめ
厳島神社の建築と宝物の関係を見てきましたが、単なる収納空間としてではなく、神宝を守り活用するための精緻な空間設計思想が息づいていることが分かります。寝殿造を応用した建築配置、校倉造の保管技術、高舞台と楽房の機能的配置、そして海上という環境に適応した構造的工夫。これらすべてが有機的に結びつき、千年以上にわたって貴重な文化財を守り伝えてきました。
現在も実際に使用されている舞楽装束や、特別な機会に公開される平家納経を通じて、建築空間と宝物の深い関係を実感することができます。次に厳島神社を訪れる際には、目に見える建築美だけでなく、その背後にある神宝を守る知恵と工夫にも注目してみてはいかがでしょうか。