厳島神社が海に建てられた理由は、島全体が神聖な場所とされ、一般の人々が直接足を踏み入れることを避けるためでした。この独特の立地は、古代から続く島への崇敬の念と、平清盛による壮大な海上社殿建設によって現在の形となり、世界でも類を見ない海上建築の傑作として今日まで受け継がれています。
なぜ海の上に神社を建てたのか?その歴史をたどる
昔から神聖だった宮島―島全体が神様の場所
厳島神社が海上に建設された背景には、古代から続く宮島への特別な信仰があります。「厳島」の名前自体が「神に斎(いつ)く島」を意味し、島全体が神聖な領域として崇拝されていました。
平安時代以前から、宮島は瀬戸内海の航海安全を守る神々が宿る島として信仰を集めていました。古代の人々は、この神聖な島の土を踏むことさえ畏れ多いことと考え、海上から遥拝(ようはい)する習慣が生まれました。この島への深い畏敬の念こそが、後の海上社殿建設の精神的基盤となったのです。
考古学的な調査からも、古代の宮島には独特の祭祀遺跡が発見されており、島全体が一つの大きな聖域として機能していたことが明らかになっています。海に囲まれた島という地理的特徴が、俗世間から隔絶された神域としての性格を一層際立たせていました。
平清盛が造った壮大な海の神社
現在の厳島神社の壮大な海上社殿は、平安時代末期の1168年(仁安3年)に平清盛によって大造営されました。清盛は安芸守として宮島を訪れた際、この島の神秘的な美しさと信仰の深さに心を打たれ、一族の繁栄を願って大規模な社殿建設を決意しました。
清盛の造営計画は、単なる神社の建設ではなく、瀬戸内海全体を見渡す海上都市構想でもありました。平家が瀬戸内海の制海権を握るためには、航海の安全を司る厳島の神々の加護が不可欠と考えられていました。海上社殿は、平家の海洋支配の象徴的な建造物として機能したのです。
清盛は京都の寝殿造建築の技法を海上建築に応用し、満潮時には社殿が海に浮かんで見える幻想的な景観を創り出しました。これは、神々の世界と人間の世界を結ぶ理想的な聖域として設計された、世界でも類例のない建築構想でした。

海上社殿の建築技術と構造の特徴
潮汐に対応した独特の建築工法
厳島神社の海上建築で最も注目すべきは、激しい潮汐変化に対応した独特の建築技術です。瀬戸内海の干満差は約4メートルにも及び、通常の建築物では到底耐えられない環境条件でした。
社殿の基礎となる楠の柱は、海底深く打ち込まれ、潮の満ち引きによる水圧変化と波浪に耐える構造となっています。特に重要なのは、柱と柱を結ぶ貫(ぬき)と呼ばれる横材の工法で、これにより建物全体が一体となって海の力に対抗する仕組みが作られています。
床板には隙間が設けられ、高波が押し寄せた際に水の抜け道を確保する工夫がなされています。この「逃がし」の技術により、建物が波の直接的な破壊力から守られているのです。また、屋根瓦も特殊な固定方法が採用され、海上の強風に耐える構造となっています。
回廊建築と海上景観の調和
厳島神社の回廊建築は、海上という特殊な立地を最大限に活かした設計となっています。長さ約280メートルに及ぶ回廊は、本社を中心に左右対称に配置され、満潮時には水面に浮かぶ朱塗りの橋のような美しい景観を創り出します。
回廊の高さは潮位を綿密に計算して設定され、満潮時でも回廊上を歩けるよう工夫されています。同時に、干潮時には社殿下を参拝者が歩けるよう、複数の参拝ルートが確保されています。この「二重の参拝体験」は、海上社殿ならではの特徴といえるでしょう。
建築材料には、海水や潮風に強い楠、檜、杉などの木材が厳選使用され、定期的な修理を前提とした設計がなされています。朱塗りの柱や鮮やかな緑青の屋根は、海の青や空の色彩と美しいコントラストを生み出し、「海に浮かぶ竜宮城」と称される幻想的な景観の要素となっています。

海上信仰が与えた文化的影響と歴史的意義
厳島神社の海上建築は、日本の宗教建築史において革命的な意義を持ちました。従来の神社建築が山や森などの陸上の聖地に建設されていたのに対し、海という動的な環境に神聖空間を創造した点で画期的でした。
この海上信仰は、平安時代の貴族文化にも大きな影響を与えました。清盛をはじめとする平家一門による厳島詣では、単なる宗教的行為を超えて、海上での雅やかな管弦の演奏や詩歌の朗詠が行われる文化的なイベントとなりました。「平家納経」として知られる豪華な装飾経典の奉納も、この海上聖域の特別性を物語っています。
中世以降、厳島神社の海上建築は各地の神社建築に影響を与え、水上や海上に建設される神社の先駆的モデルとなりました。同時に、海上交通の安全を守る神として厳島の神々への信仰は全国に広まり、瀬戸内海の島々や沿岸部に数多くの厳島神社の分社が建立されました。
戦国時代の毛利氏による保護、江戸時代の浅野藩による維持管理を経て、厳島神社の海上建築技術は連綿と受け継がれました。明治維新後の神仏分離令による影響を受けながらも、海上社殿の基本構造と精神性は現代まで継承され、1996年のユネスコ世界遺産登録により、その普遍的価値が国際的に認められました。
現代の建築学や工学の観点からも、厳島神社の海上建築技術は高く評価されています。台風や高潮などの自然災害に対する耐性、環境負荷の少ない建築手法、持続可能な修繕システムなど、現代建築が学ぶべき要素が数多く含まれているのです。

現代に受け継がれる海上建築の価値
現代においても、厳島神社の海上建築が持つ価値は色褪せることがありません。地球温暖化による海面上昇や自然災害の激化が問題となる中、海と共存する建築技術として新たな注目を集めています。
特に注目されるのは、自然環境への配慮と持続可能性です。厳島神社の建築は、海洋生態系を破壊することなく、むしろ魚類の産卵場所や海藻の生育環境を提供する「共生建築」の先駆例として評価されています。定期的な修理による建物の長寿命化も、現代の持続可能な社会づくりに重要な示唆を与えています。
また、海上建築がもたらす精神的・文化的価値も見逃せません。潮の満ち引きとともに変化する景観は、参拝者や観光客に自然の営みと人間の営みの調和を実感させ、現代社会が失いつつある「自然との共生」の意識を呼び覚まします。年間400万人を超える参拝者・観光客が訪れることからも、この海上聖域が持つ普遍的な魅力がうかがえます。
まとめ
厳島神社が海に建てられた理由は、島全体を神聖視する古代からの信仰と、平清盛による海上都市構想が結びついた結果でした。潮汐に対応した独特の建築技術により実現された海上社殿は、宗教建築史上の革命的な成果であり、現代においても持続可能な建築のモデルとして高く評価されています。
神聖な島への畏敬の念から生まれた海上建築は、1000年近い歳月を経て世界遺産として認められ、人類共通の文化遺産となりました。海と共生し、自然の力を受け入れながらも美しい聖域を維持し続ける厳島神社は、現代社会が学ぶべき知恵と価値を今もなお私たちに示し続けています。
参考文献・出典
- 文化庁 文化遺産オンライン:厳島神社(世界遺産)
- 文化庁 国指定文化財等データベース:厳島神社 本社本殿、幣殿、拝殿
- 一般社団法人宮島観光協会:世界文化遺産登録
- 一般社団法人宮島観光協会:嚴島神社
- 国宝・世界遺産 嚴島神社 公式サイト
- ひろしま文化大百科:広島のいしずえ「平氏と厳島文化」
- 廿日市市観光公式サイト「はつたび」:世界遺産「厳島神社」
- Wikipedia:厳島神社
- 宮島町史編纂委員会『宮島町史 通史編』宮島町、1992年
- 福山敏男『嚴島神社の建築』中央公論美術出版、1988年