海の中にそびえ立つ厳島神社の大鳥居は、多くの人々を魅了し続ける日本を代表する文化財です。その壮大な姿は、単なる神社の入口を示すだけでなく、日本の歴史と文化、そして建築技術の粋を今に伝える貴重な存在となっています。
大鳥居は、平清盛時代の創建以来、約900年にわたり宮島の海上に立ち続けてきました。現在の鳥居は明治8年(1875年)に再建された9代目で、国の重要文化財に指定され、奈良の春日大社、福井の気比神宮とともに日本三大鳥居の一つに数えられています。高さ16.6メートル、重さ約60トンという巨大な構造は、楠木の自然木を用いた伝統的な建築技術によって支えられ、基礎を持たずに自重だけで海中に立つという驚くべき工法で造られています。
この記事では、大鳥居の創建から現代まで続く歴史の流れ、独特な構造と建築技術の秘密、重要文化財・世界遺産としての価値、そして現代まで受け継がれてきた意義について、詳しく解説していきます。

大鳥居の歴史的展開を時代順に解説
平安時代の創建と平清盛の貢献
厳島神社の大鳥居の歴史は、平安時代後期の1168年(仁安3年)頃に始まりました。安芸守として勢力を拡大していた平清盛が、厳島神社を海上社殿として大規模に改修した際、海中に大鳥居を創建したとされています。これが初代の大鳥居と考えられています。
清盛が大鳥居を海上に建てた背景には、神の島である宮島の神聖な土地に直接建造物を建てることを避ける信仰上の配慮と、瀬戸内海の海上交通における視覚的な目印としての実用的な意図がありました。朱色に塗られた巨大な鳥居は、遠くからでも目立ち、船で参拝に訪れる人々や日宋貿易の船にとって、重要な航路標識の役割も果たしていました。
初期の扁額は、表側が小野道風、裏側が弘法大師の筆であったと伝えられています。これは、当時の厳島神社が持っていた高い文化的・宗教的権威を示すものでした。
鎌倉時代から室町時代の再建の記録
大鳥居は台風や高潮などの自然災害により、何度も倒壊と再建を繰り返してきました。1286年(弘安9年)10月に2代目が再建されましたが、1325年(正中2年)6月25日に大風で倒壊しました。この時期の鳥居は、一遍聖絵に描かれた絵図から、朱塗りの明神鳥居であったことが確認されています。
1240年(仁治元年)の『伊都岐嶋社内外宮造畢幷未造殿舎注進状案』には「造畢分(すでに造り終えた物)」として「大鳥居一基」の記述があり、近年の研究でこの時期にも大鳥居が存在していたことが判明しました。これにより、従来考えられていたよりも大鳥居の再建回数が多かったことが明らかになっています。
1371年(建徳2年/応安4年)4月には、佐伯区利松や廿日市市宮内などから運ばれた材木を用いて再建されました。中世の大鳥居建設には、周辺地域からの広範な資材調達と、多くの人々の労力が必要とされていたことがわかります。
戦国時代から江戸時代の変遷と両部鳥居への変化
1547年(天文16年)11月18日、大内義隆を旦那として大鳥居は再建されました。この時から、現在のような控柱(袖柱)を持つ両部鳥居の形式になったと言われています。また、義隆は大願寺尊海の要請により、後奈良天皇の宸翰の扁額を神社に贈りました。この扁額は現在、厳島神社宝物館に所蔵され、国の重要文化財に指定されています。
1561年(永禄4年)10月には、毛利隆元を当主とする毛利氏一族によって再建されました。材木は能美島大原・中村、仁保島、山口県岩国市から運ばれ、中国地方の広い範囲から資材が集められました。この鳥居は1716年(享保元年)に自然倒壊するまで、約155年間立ち続けました。
1801年(享和元年)3月27日の再建では、楠木は和歌山県牟婁郡、広島市宇品、竹原市、呉市などから運ばれました。特に広島市宇品島からは、直径3.5メートル、高さ5メートルの巨大な楠木が切り出された可能性が指摘されています。しかし、この鳥居も1850年(嘉永3年)8月7日の大風・高潮により大破し、扁額は阿多田島付近まで漂流したという記録が残されています。

明治時代から現代まで|現在の9代目大鳥居
現在の大鳥居は、明治8年(1875年)7月18日に、小泉甚右衛門(小泉本店)らの斡旋により再建されたものです。従来は8代目とされていましたが、近年の調査研究により9代目であることが判明しました。この大鳥居は、建設から約150年が経過した現在も、厳島神社のシンボルとして海中に立ち続けています。
明治32年(1899年)4月5日、大鳥居は国の重要文化財に指定されました。さらに昭和38年(1963年)12月26日には、棟札2枚が大鳥居の附(つけたり)として追加指定されています。平成8年(1996年)12月には、厳島神社が世界文化遺産に登録され、大鳥居も世界遺産を構成する重要な文化財の一つとなりました。
平成3年(1991年)、台風19号により厳島神社が大きな被害を受けたことを教訓として、宮島町有志が「宮島千年委員会」を結成しました。大鳥居に必要な楠木を確保するため、県内外で楠木の育成に取り組んでおり、厳島の国有林内には「悠久の森」を設け、次世代用材の育成を官民で続けています。
令和元年(2019年)6月から令和4年(2022年)12月まで、約3年半にわたる大規模な修復工事が行われました。シロアリによる被害で空洞になっていた主柱の内部に部材をはめ込み、ステンレス製のバンドや炭素繊維を巻き付けて補強し、紫外線による色あせ対策として耐久性の高い化学顔料とアクリル樹脂を使った塗料を重ね塗りしました。この「令和の大改修」により、大鳥居は鮮やかな朱色を取り戻し、その存在感をより一層増しています。
大鳥居の構造と建築技術の特徴
両部鳥居の独特な構造
厳島神社の大鳥居は、主柱2本と袖柱(控柱)4本の計6本の柱を持つ「両部鳥居」という形式です。主柱と袖柱は上下2か所で差貫を差し通し、楔締めで固定されています。この構造により、海中という厳しい環境下でも安定性を保つことができます。
主柱には楠木が使用され、現在の大鳥居では宮崎県産と香川県産の巨木が用いられています。主柱の根元の周囲は約10メートルにも達する巨大なもので、木造の鳥居としては日本最大級の規模を誇ります。楠木は他の木材よりも重量があり、腐食しにくく虫がつきにくいという特性から、海中に立つ鳥居の材料として最適でした。
袖柱には杉が使用され、全体の高さは約16.6メートル、棟の長さは約24.2メートルに達します。総重量は約60トンと推定され、この巨大な構造物が基礎を持たずに自重だけで海中に立つという驚異的な建築技術が用いられています。
基礎なしで立つ自重構造の秘密
大鳥居の最も特筆すべき点は、杭などを使わず、その木自体の重みだけで建っていることです。屋根の下の部分は空洞になっており、そこに石を詰めて重量を増し、安定性を高めています。
かつてはこの石の数は276個あり、単なる重しの役割だけでなく、石の一つ一つに般若心経の一文字ずつが書かれていました。これは神仏習合の思想を反映したもので、鳥居一つに陰陽道と仏教という複数の宗教的意味が込められていたことを示しています。現在は石に文字は書かれていませんが、重しとしての役割は変わらず果たされています。
大鳥居は満潮時には海に浮かぶように見え、干潮時(潮位100センチメートル以下)には鳥居の根元まで歩いていくことができます。広島湾の干満差は最大で4メートルにも達し、この大きな環境変化に耐えるための構造的工夫が随所に施されています。

陰陽道と神仏習合を反映した装飾
大鳥居には陰陽道の思想が反映された装飾が施されています。東側の錺金具には太陽の印、西側の錺金具には月の印がかたどられており、四方位を表しています。厳島神社の灯籠にも同じく太陽・月のマークがあり、東に太陽、西に月という配置になっています。
扁額も興味深い特徴を持っています。沖側(北側)の額には「嚴嶋神社」、御本社側(南側)には「伊都岐嶋神社(いつきしまじんじゃ)」と記されています。これは、伊都岐嶋大明神を祀っていることから、昔は伊都岐嶋神社と呼ばれていた名残です。扁額の大きさは縦約2メートル、横約1.2メートルもあり、飾りのついた額縁を含めるとさらに大きくなります。
全体は朱色(丹塗)に塗られていますが、木口のみ黄土塗となっています。朱色は神聖さを示す色として古来より重視され、遠くからでも目立つため、海上交通の目印としても機能していました。この美しい朱色と青い海、緑の弥山という色彩のコントラストが、厳島神社の景観を独特なものにしています。
大鳥居の文化的・宗教的意義
聖域の入口を示す結界としての役割
鳥居は本来、神域と人間が住む世界を分ける結界であり、神域への入口を示す門の役割を果たしています。厳島神社の大鳥居は、海上に立つことで、島全体が神の島であるという信仰を視覚的に表現しています。
古代から宮島は「神の島」として崇められ、島自体が御神体とされてきました。島の土を持ち出すことや、島内での出産・死を避けるなど、様々な禁忌が存在しました。大鳥居は、この神聖な島への入口を海上に設けることで、島の聖性を損なわずに参拝者を迎え入れる工夫でした。
かつて参拝者は、船で大鳥居の下をくぐって厳島神社に参拝していました。鳥居をくぐることで俗世から聖域へと移行する儀礼的な意味があり、海上の鳥居はこの境界をより明確に示していました。現在でも、管絃祭などの神事では、御座船が大鳥居の下をくぐる伝統が受け継がれています。
海の神を祀る信仰の象徴
厳島神社は宗像三女神(市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命)を祀り、海上交通の守護神として古くから信仰を集めてきました。大鳥居は、海の神を祀る神社にふさわしい海上の標識として、航海の安全を祈る人々にとって重要な信仰の対象でした。
平清盛が日宋貿易を推進する中で大鳥居を建てたのは、海上交通の繁栄を願う実用的な意図もありましたが、同時に海の神への深い信仰を表すものでもありました。瀬戸内海を航行する船にとって、朱色の大鳥居は航路の目印であり、航海の安全を祈る聖なる標識でした。
日本三大鳥居の一つとして、奈良の春日大社、福井の気比神宮とともに数えられることは、大鳥居が持つ宗教的・文化的な重要性を示しています。それぞれの鳥居が持つ独自性の中でも、海中に立つ厳島神社の大鳥居は、日本の神道信仰における海との結びつきを象徴する存在として、特別な位置を占めています。
芸術的・美的価値と景観形成
大鳥居は、その壮大なスケールと美しい朱色により、厳島神社の景観を形成する中心的な存在です。満潮時には海に浮かぶように見え、干潮時には歩いて近づくことができるという、潮の満ち引きによって表情を変える姿は、日本の自然と建築の調和を体現しています。
広重の浮世絵「六十余州名所図会」の安芸の景には、管絃祭の一場面として大鳥居が描かれており、江戸時代から大鳥居は芸術作品の題材として親しまれてきました。夕日に照らされた大鳥居や、夜のライトアップされた姿など、時間帯によって様々な美しさを見せる大鳥居は、多くの写真家や芸術家にインスピレーションを与え続けています。
世界文化遺産の構成要素として、大鳥居は「海上に建ち並ぶ建造物群と背後の自然とが一体となった景観が、人類の創造的才能を表す傑作である」という評価を受けています。この評価は、大鳥居が単なる宗教施設ではなく、自然と人工物の調和という普遍的な美的価値を持つ文化遺産であることを示しています。

現代に受け継がれる大鳥居の価値
厳島神社の大鳥居は、約900年にわたる歴史を経て、現代においても日本を代表する文化遺産として多くの人々に親しまれています。国の重要文化財、世界文化遺産という二重の文化財指定を受け、その保護と継承は国家的な課題となっています。
令和の大改修では、最新の保存技術を用いながらも伝統的な工法を尊重し、次世代に引き継ぐための修復が行われました。シロアリによる被害への対策、耐久性の高い塗料の使用など、現代の科学技術を活用しながら、大鳥居の本質的な価値を損なわないよう細心の注意が払われました。
宮島千年委員会による次世代用材の育成活動は、100年、200年先を見据えた文化財保護の取り組みです。楠木の育成には数十年の歳月が必要であり、現代の私たちが将来の世代のために準備を進めることの重要性を示しています。「悠久の森」と「檜皮の森」という名称には、文化財を永続的に守り続けようとする強い意志が込められています。
観光面でも、大鳥居は宮島を訪れる最大の理由の一つとなっています。年間数百万人が訪れる宮島において、大鳥居は日本文化の魅力を世界に発信する重要な役割を果たしています。特に2023年のG7広島サミットでは、各国首脳が宮島を訪問し、大鳥居の前で記念撮影を行うなど、国際的な注目を集めました。
教育的価値も見逃せません。大鳥居の歴史と構造を学ぶことで、日本の伝統的な建築技術、自然との共生、信仰と文化の結びつきなど、多様な視点から日本文化を理解することができます。修学旅行や社会科見学の定番スポットとして、次世代への文化継承の場としても機能しています。
大鳥居は、過去から現在、そして未来へと続く文化の連続性を象徴する存在です。何度も倒壊しながらも再建され続けてきた歴史は、災害と復興を繰り返してきた日本の歴史そのものを映し出しています。現代の私たちが大鳥居を守り、次世代に引き継いでいくことは、単に一つの文化財を保存するだけでなく、日本の文化的アイデンティティを守り続けることでもあるのです。
よくある質問
大鳥居は何代目ですか?
現在の大鳥居は9代目です。明治8年(1875年)に再建されたもので、平清盛時代の創建(1168年頃)を初代とすると、従来は8代目とされていましたが、近年の研究により9代目であることが判明しました。約150年間、海中に立ち続けています。
大鳥居はどのようにして海に立っているのですか?
大鳥居は基礎を持たず、自重だけで立っています。主柱には重い楠木を使用し、屋根の下の空洞部分に約276個の石を詰めることで、全体の重量を約60トンまで増やし、安定性を確保しています。両部鳥居という6本柱の構造も安定性に寄与しています。
大鳥居まで歩いて行けるのはいつですか?
干潮時、具体的には潮位が100センチメートル以下になった時に、大鳥居の根元まで歩いて行くことができます。宮島観光協会の年間潮汐表で、訪問予定日の潮位を事前に確認することをおすすめします。干潮のタイミングは日によって異なるため、計画的な訪問が必要です。
なぜ大鳥居は朱色なのですか?
朱色(丹塗)は神聖さを示す色として、古来より神社建築で重視されてきました。また、遠くからでも目立つため、瀬戸内海を航行する船にとって航路の目印としても機能していました。現在の修復では、紫外線による色あせ対策として、耐久性の高い化学顔料とアクリル樹脂を使った塗料が使用されています。
大鳥居が倒れないのはなぜですか?
大鳥居は楠木の重さ(約60トン)と、屋根に詰められた石の重量により、重力で自立しています。主柱の直径は約10メートルもあり、6本の柱(主柱2本、袖柱4本)が差貫と楔で固定される両部鳥居の構造が、横からの力にも耐える安定性を生み出しています。
大鳥居の扁額には何と書かれていますか?
沖側(北側)には「嚴嶋神社」、御本社側(南側)には「伊都岐嶋神社」と記されています。扁額の大きさは縦約2メートル、横約1.2メートルもあります。宝物館に所蔵されている扁額は、かつて大鳥居に掲げられていた後奈良天皇の宸翰で、国の重要文化財に指定されています。
大鳥居に使われている木材は何ですか?
主柱には楠木(宮崎県産と香川県産)、袖柱には杉が使用されています。楠木は腐食しにくく虫がつきにくい特性があり、海中という厳しい環境に適しています。歴代の大鳥居でも、和歌山、広島宇品、竹原、呉、岩国など、瀬戸内海周辺の各地から楠木が調達されてきました。
まとめ
厳島神社の大鳥居は、平清盛時代の創建から約900年にわたり、宮島の海上に立ち続けてきた日本を代表する文化遺産です。現在の9代目は明治8年(1875年)に再建されたもので、国の重要文化財および世界文化遺産として、その歴史的・文化的価値が広く認められています。
高さ16.6メートル、重さ約60トンという巨大な構造は、楠木の自然木を用いた伝統的な建築技術によって支えられ、基礎を持たずに自重だけで海中に立つという驚異的な工法が用いられています。両部鳥居という独特の形式、陰陽道を反映した装飾、神仏習合の思想など、大鳥居には日本の宗教文化の歴史が凝縮されています。
聖域の入口を示す結界、海の神を祀る信仰の象徴、そして自然と建築の調和を体現する芸術作品として、大鳥居は多面的な価値を持っています。令和の大改修や宮島千年委員会による次世代用材の育成など、現代の文化財保護の取り組みは、この貴重な遺産を未来へと引き継ぐための努力の表れです。
大鳥居の歴史と意義を理解することは、単に一つの建造物について学ぶだけでなく、日本の歴史、文化、そして自然との共生の智恵を学ぶことでもあります。海中にそびえ立つ朱色の大鳥居は、これからも多くの人々に感動を与え続け、日本文化の素晴らしさを世界に伝える存在であり続けるでしょう。